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風の歌を聴け

野球場と映画

 千駄ヶ谷の東京体育館から外苑の神宮球場のあたりまで歩く時に、いつもとは言わないけれど、わりとよく村上春樹のことを思い出す。1978年4月のセリーグ開幕戦「ヤクルトスワローズ対広島カープ」。1回の裏にヤクルトの先頭打者デイブ・ヒルトンが二塁打を打った瞬間に、村上春樹は「小説が書けるかもしれない」と思ったそうだ。そうして書き上げたデビュー作『風の歌を聴け』は、その日からおよそ1年後に文芸誌『群像』の新人賞を獲得する。ちなみにぼくは『風の歌を聴け』を単行本が発売されるより前に『群像』で読んでその世界観や文体に夢中になり、次作を心待ちにした。

 神宮球場のエピソードは、昨年発売された『職業としての小説家』に書かれていた。でもぼくは、この話をもっと以前から知っていたような気がするのだ。何か他のエッセイなどで読んだのだろうか。『職業としての小説家』が話題になってわりとすぐに、友人と酒を飲んでいたら、「あのエピソードは本当だと思う?」と質問された。本当かどうかなんて考えてもみなかったから、ちょっとばかり間を置いて、本当かどうかは問題ではなく、村上ファンにとって大事なのは「らしい」かどうかだし、村上春樹はそのことを熟知しているのじゃないかと、もっともらしい適当な答えをしておいた。

 『風の歌を聴け』が大森一樹の監督脚本で映画化されたのは1981年だったが、話題の小説が映像化される際に必ず巻き起こる批判の嵐にさらされたに違いない。ぼくは有楽町の映画館で観たけれど、わりと好きだと思っていた。いま思い返すと、大学生の「僕」を演じる小林薫も、旧友の「鼠」を演じる巻上公一も、隙あらばという感じでやたらビールばかり飲んでいた映画という印象だけが残っている。ビール=いつまでも学生気分が抜けない人の飲み物というぼくの決めつけは、この映画に刷り込まれたものかもしれない。

46_andcinema1.jpg夜更けの競技場に忍び込んで、無人の観客席に座り、親友と二人で缶ビールを飲むというのは、映画では使い古されたクリシェなのかもしれないが、嫌いではない。

文・岡本 仁
1954年北海道生まれ。編集者。マガジンハウスにて『BRUTUS』『relax』『ku:nel』などの雑誌編集に携わる。2009年ランドスケーププロダクツに入社し、「BE A GOOD NEIGHBOR」を担当。読書エッセイ集『果てしない本の話』(本の雑誌社)が発売中。

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