リレーエッセイ 本をめぐる物語 vol.06
本とホンと本番と
落合弘治俳優・声優
写真:鍵岡龍門
初めて読んだ小説をはっきり覚えています。小学四年生の時です。マンガでも絵本でもない字ばっかりの本。全部読み切れるかドキドキして頁を捲った時の気持ちも覚えています。
九つ離れた姉が薦めてくれた井上ひさしの『ブンとフン』という小説。あんまり面白くって、すぐに読み終わりました。読み切れた! 次に姉が薦めてくれたのは、タイトルは忘れましたけど、筒井康隆の小説。ちょっと難しくて時間がかかったけど、これも読み切れました。それから筒井康隆の作品を何冊か読んで、読み切れずに挫折することも経験しました。けど「字ばっかりの本」恐るるに足らず。
なんだか不思議な本の縁
あれから50年近く経った今、井上ひさしと筒井康隆を最初に読んだことは個人的に勝手な縁を感じてしまいます。というのも私は現在、テアトル・エコーという劇団に籍を置く俳優で、テアトル・エコーは井上ひさしが初めて戯曲を書いて上演したところです。劇団に入って二年目に筒井康隆の書いた歌舞伎で、松竹が制作した「影武者騒動」に出演させてもらいました。顔合わせでは筒井康隆さんご本人が目の前にいらして興奮しました。2010年には井上ひさしがかつてテアトル・エコーで初演した処女戯曲「日本人のへそ」の再演にも出演させてもらいました。まぁ、独りよがりかもしれませんけど、小学生の頃の自分を思い浮かべると「なんだか不思議だなぁ」と。
趣味は読書と言い切った
二年半の会社員生活を経て二十五歳で劇団に入るまで、小説を中心にかなりの数の本を読んできたと思います。影響を受けた作家は、司馬遼太郎、浅田次郎、ピート・ハミル、五木寛之、ボブ・グリーン、沢木耕太郎、乃南アサ、村上龍などなど。評伝や伝記やノンフィクション・ルポルタージュも好んでよく読んできました。趣味は?と問われると「読書」と答えることもしばしばでした。
「台本」以外読めなくなる
なのに。それなのに。演劇にのめり込んでいけばいくほど、関わっている演劇の「台本」以外の「本」は読めなくなっていきました。少なくとも稽古と本番の間は。頭の中に余計な文字を入れたくないというか、せっかく覚えた台詞が新しい文字を読むことによって追い出されてしまうんじゃないかという恐怖感に囚われて。というより、演劇以降の私の中の「本」は「台本」いわゆる「ホン」に置き換わり、「趣味」から「生活の糧」あるいは「仕事をする為の道具」になりました。
頭の中は常に騒がしい
「ホン」とのつきあい方も歳を重ねるにつれ変わってきました。若い頃は一旦台詞が頭に入ってしまえば、ほとんどホンを開くことは無かったのに、最近は暇があればホンを眺めています。そう、読むというより眺めてるんです。読書を趣味としていた時期は、よっぽど気に入らないともう一回同じ本を読み返すことは無かったけれど、今は同じ文字列を繰り返し目に入れます。目から入って頭の中で鳴った音をどう音声化するか。頭で鳴った音と口から出る音を一致させるのは本当に難しい。そこに作家の思惑や演出家の解釈も入って来て頭の中で様々な声や音が鳴り出します。「ならばこう動け」という自分の心の声もします。お芝居をしている間は静かに座っていても、頭の中は常に騒がしいものです。「ホン」に書かれた文字を肉体化・音声化することは、最高に興奮する作業です。
本当はこの「興奮」する理由を微に入り細に入り詳しく説明しようと思ったのですが、うまく言語化出来そうもないのでやめておきます。
なぜか捨てられない「ホン」たち
台本は上演されたり放送されたら、その役目を終えます。再演されることもありますが、滅多にありません。終演したらもう手に取って開くこともありません。何度かの引越しで今まで沢山の本を捨てて来たのに、何故か捨てられない「ホン」が何冊かあります。なんですかね、思い出?郷愁?どれもピンと来ません。自分でも理由は分かりませんが、なんとなく捨てられないのです。
演劇を始める前と後で、変わったことがもう一つあります。それはHow to本を読むようになったことです。それまでは手に取ることもありませんでしたが、俳優の訓練法を中心に色々読んできました。書かれていることを採り入れたり、無視したり。
それはタイムスリップできる「装置」
一冊だけ今でも何度も繰り返して読むHow to本があります。私の演劇の師匠・岡田正子先生が自家出版で出した『ベラ・レーヌ・システム』という本です。ベラ・レーヌ・システムとは、私が教わってずっと大切にしてきた演技術の名前です。一般の書店では手に入らないだろうし、手にしたところで実際に実践したことの無い人にはちんぷんかんぷんでしょうが、私には宝物です。頁を開くと自分の若き頃にタイムスリップ出来る「装置」でもあります。
思いつくままに四の五のと言ってきましたが、みなさま、ぜひ一度恵比寿にある小さな劇場・恵比寿エコー劇場でテアトル・エコーのお芝居を観にいらしてください。くっだらないお芝居やってます。駄文お目汚し失礼いたしました。
(企画・編集 新谷佐知子/川内有緒)
恵比寿に関するQ&A
- Q1恵比寿との縁は何ですか?
- 1989年にテアトル・エコーの養成所に入ってから、33年くらいずっと恵比寿に通っています。お芝居がある時は毎日来るし、事務所に吹き替え用の台本を取りに来ることもあります。この30年で、恵比寿はずいぶん変わりましたね。以前は、恵比寿ガーデンプレイスをちょっと下がった線路沿いに、養成所がありました。
- Q2よく行くお店はどこですか?
- 昔からやっているお店が多いですね。研究生の時に「こづち」とか行きましたね。今もたまに行くかな。昔は夜もやっていて、お酒も飲んだりしました。「どんく」もよく行きますね。中華料理屋で、美味しい。「大吉」も時々。テアトル・エコーは「楽屋バー」っていうのがあって、年長者がお金を出して若手が買い出しに行ってお酒を作って、みんなでワイワイ飲んでいます。今はコロナ禍で無理ですが。昔はいつまでも楽屋にいてよかったし、いい時代でした。
- Q3恵比寿の好きな場所はどこですか?
- やっぱり、ここ。恵比寿・エコー劇場ですね。あと、恵比寿の街をふらふら歩くのも好き。事務所に来て、台本を待つ時間とかに、ふらふら歩くんですよ。駒沢通りをまっすぐ行って鎗ヶ崎のあたり、代官山の方とかね。広尾方面にも歩いて行きますね。
納谷悟朗さんや熊倉一雄さんと一緒にいたところ、歩いたところは印象に残っていますね。渋谷橋のバス停とか、今はもうない飲み屋さんで納谷悟朗さんにすっごく怒られたこととか。なんかね、恵比寿の街を歩いていると、その頃の情景がふっと浮かんで来ることがある。僕達が憧れていた人たち、この劇場を作った人たち。その人たちがもういないんだと思うと、しゅんとしちゃう。熊倉一雄と一緒に歩いた時の温度とか、季節とかね。そういうことで、その時のことを思い出します。
恵比寿駅の東口は以前、神社みたいな石の階段だったんだよね。朝まで屋台で飲んでる人たちがいてね。今は全然違う階段だけど、恵比寿駅の階段を降りるとかつての情景がよみがえったりします。
- Q4恵比寿はどんな人たちがいる?
- 30年前からずっと通っていた「浮世床」という床屋さんがあって、そこのご主人とのやりとりは印象に残っていますね。ご病気で店を畳むというときに、髪を染める道具を一式譲ってくれました。「自分でも染めるよね?これ持っていきな」ってね。あと「こづち」の人たち。以前お店にいた人たちは、俺のことを劇団員だと知っていて「どうだい?劇団の方は?」とかよく聞いてくれたよね。そういう下町っぽい人たちも多かったんです。
- Q5恵比寿の魅力は?
- あんまり魅力については考えたこともないなあ。当たり前のように恵比寿に来る。ここに劇場や稽古場、事務所があるから来るというだけで、別に恵比寿じゃなくてもいい。
個人的な思い出はたくさんつまった場所になりましたけど。恵比寿って、渋谷や広尾、表参道とかね、他の街にワクワクしながら歩いていける場所だなと思いますね。
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落合弘治(おちあい・こうじ)
俳優・声優。1966年、東京都生まれ。法政大学卒業。1991年、劇団テアトル・エコーに入団。主な出演舞台は「ら抜きの殺意」(1997年)、「おかしな二人」(2014年)、「ママごと」(2022年)他多数。
主な声優参加作品は「セサミストリート(NHK版)」エルモ役、「メジャー」ジョー・ギブソン役、「ボージャック・ホースマン」(Netflix)ボージャック役。他多数。
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テアトル・エコー
70有余年の歴史を持ち、1963年から恵比寿を拠点に創作活動を続けています。1991年には庚申橋のたもとに恵比寿・エコー劇場とレコーディング・スタジオを開設し、演劇活動と共に、声優の育成、外画やアニメ、ドラマ等の吹き替えを中心に様々な作品創りに取り組んでいます。
https://t-echo-g.com/
2022.8.10