リレーエッセイ 本をめぐる物語 vol.03
ヘンな宇宙に集うヘンな人々
川内有緒ノンフィクション作家/gallery and shop山小屋 写真:鍵岡龍門
子どものころ、家の目の前に本屋があった。
玄関を出て10歩で本屋、という環境はとんでもなく贅沢なわけだが、当時の私にとって本屋は、電信柱とか野良猫と同じくらいにそこにあるのが当たり前の存在だった。
いま思いだしても、特に目立った個性もない普通の町の本屋である。
店の入り口付近には新刊と雑誌の棚。奥はコミックスや参考書、右側には文庫本。参考書や実用書もあって、必要な全てが小さい空間にぎゅっと収まっている。店長はお腹が出たクマみたいなおじさん。いや、幼い私から見たらおじさんに見えただけで、意外と若い人だったのかもしれない。
名前は「ブックス海」という。
ヘンな人たちとしっちゃかめっちゃかな世界
小学校に入ったころから、「ブックス海」に入り浸るようになった。といっても、基本的には立ち読み中心。『月刊コロコロコミック』は店の外の棚にあったので楽勝だったが、大変だったのはベストセラーコーナーにある赤川次郎の本。レジ横で連日の立ち読みという不断の努力で読破し、ミステリー小説の魅力を発見した。そんなはた迷惑な小学生を、クマ店長は苦笑しながら見守り続けた。
ある日、偶然に手にした漫画に釘付けになった。緑色の背景の真ん中にヒョウ柄のビキニをきた女の子が座っている。
『うる星やつら』の第七巻だった。
なにこれ。よくわからないけど欲しい。
家に戻って母に「買って! 買って! 買って!」と懇願した。
そうやって珍しく家に持ち帰った『うる星やつら』を繰り返し読んだ。
ワクワクした。
やたらと電撃を出しちゃう宇宙人・ラムちゃん、浮気者のあたる、広島弁のらんちゃん、ガラが悪い幼児・テンちゃん、謎の坊さん・チェリー。
ユニークなキャラクターが、愉快なドタバタ劇を繰り広げる。何もかもが常識はずれで、しっちゃかめっちゃかで、予測不能で、自由だった。そんな炸裂する高橋留美子ワールドに骨の髄まで侵された8歳は、本屋に走った。
「次の巻はいつ出るんですか?」
クマ店長は、「これ見てごらん」とすべての漫画の発売予定日が書かれた一覧表を見せてくれた。その紙は宝物のように光り輝いてみえた。
高橋留美子『うる星やつら』(少年サンデーコミックス)
友引町で暮らしたい小学生
『うる星やつら』の発売日には、学校の帰りに買いに走った。変な登場人物は巻を追うごとに増えていき、宇宙人はもとより、七福神やら、幽霊やら、妖怪やら、男の子にしか見えない女の子や、甲冑をきた謎の美少女など、なんでもござれである。彼らは、物語の舞台・友引町で大騒ぎしながら、時に海や山に繰り出し、宇宙まで飛び、水中にも潜り、夢や四次元の世界にすら旅した。
「夢中」という言葉をはるか超えて私は『うる星やつら』の世界にダイブしたかった。そうして、友引町で生きられたらと願う私は、近所の子どもたちと「ちびちびリトル小劇団」という劇団を結成し、『うる星やつら』を演じることにした。練習したのは、7巻の最初のエピソード、「思い出危機一髪…」である。
「ランちゃんはだしぬけに性格がかわるからうちこわいっちゃ!」
「わし、 かえってから、さんざんどつきまわされたんじゃ」
そんなセリフを繰り返し練習し、頭に叩き込んだ。
そうするうちに、今度はテレビでアニメ版の『うる星やつら』の放映が始まった。
覚えている人はいるだろうか。あの素晴らしい主題歌、『宇宙は大ヘンだ!』を。
「ヘンとヘンと集めて もっとヘンにしましょう
ヘンなヘンな 宇宙は大変だ!! ダ・ダ」
(『宇宙は大ヘンだ!』 作詞・伊藤アキラ 作曲・小林泉美)
アニメ版が始まると、私たちの演劇熱は高まった。もちろん発表の場はない……はずだった。しかし、どういう運命の巡り合わせか、近所にアニメ専門雑誌の編集長が住んでいた。編集長の家では、毎年新年会が行われており、「その新年会で発表したらどうか?」という話が持ち上がった。うわああああああ、一大事! というわけで、小さな劇団員たちは日夜練習に励み、成果を披露した。
それが出発点になったのだろうか。中学生になると、ビデオカメラで映画を作ることを思いついた。舞台は宇宙とか四次元とかで、脚本・監督は自分。演じるのは相変わらず近所の子どもたちである。
映画はむちゃくちゃながら無事に完成し、また例の編集長に見てもらった。「なかなかいいんじゃない」みたいに言ってくれたように思うけど、これは自分の記憶による捏造かもしれない。とにかく私は、物語を生み出すことに熱中していた。
シャッターに描かれた青い海
中学生になると、読書の幅は広がり、コバルト文庫とSF、特に新井素子、栗本薫に夢中になった。
高校生になると、私の本棚には村上春樹と吉本ばななが降臨! 自分でも今読むと恥ずかしくて頭を掻きむしりたくなるような小説を書き始めた。
もはや私のお小遣いの80%は「ブックス海」に注ぎ込まれた。高校生の時には、クマ店長の代わりに店番もこなした。「疲れたな〜」と店長が言うと私が代わりにレジに座る。そうして、店番をしながらまた本を読み続けた。その後、私は映画づくりの道に邁進すべく、日大芸術学部に入学、無事に大学生になった。
あれから時が流れ、海外に住みながら国際協力の仕事をしたあとに、一周ぐるりとまわって本を書くことをなりわいとしている。主には誰かを取材したもので、ノンフィクションと呼ばれるジャンルである。シリアスなものはあまり書かない。読んだ人が自由な気持ちになり、気分良く1日を終えられるようなものを書きたいと思う。
自分の本が発売される日には、いくつもの本屋さんをめぐる。いまでも街の本屋がとても好きだ。好きというか、自分にとってはもうなくてはならないサンクチュアリそのものだ。誰かにとっての教会とか海のように、私には本屋がある。そこにいるだけで気分が落ち着き、嫌なことは忘れ、新しい出会いにときめき、また明日もきちんと起きて、きちんと書こうと思える。
たくさんの本のなかで、ふと自分の本を見つけると、「いってらっしゃい」と心のなかで声をかける。だって、本は旅をしていくから。誰かの家の本棚に。そして人生に。
その後、「ブックス海」はどうなったのか。
私が大学生になったある日、唐突に店のシャッターが閉まり、もう二度と開かなかった。クマ店長にサヨナラが言えたかはもう覚えていない。ただ私が覚えているのは、楽しかった日々の「ブックス海」だけだ。もう開くことのないシャッターには大きな海の絵が描いてあった。
クマ店長は海が好きだったのだろうか。もしそうだとしたら、いまは海が見える街で暮らしているといいなと思う。
2020年11月に山小屋で展示された赤井都さんの豆本「航海記」
ヘンとヘンを集めてみたら
『うる星やつら』は、1987年、つまり私が15歳のときにコミックスの34巻をもって完結した。もちろん全巻を揃え、セリフをソラで言えるほど繰り返し読みこんだ。ただ、そのコミックスは、私がアメリカに住んでいる間に母が古本屋に売っ払ってしまった。だからもう25年は『うる星やつら』を読んでいないことになる。でも、忘れたわけじゃない。あの34冊の隅々まで宿っていたスピリット。
それは、ひとはもともと「変」で、誰一人同じ人はいないということだ。
マイノリティとかLGBTQとか、「世界でひとつだけの花」とか、そんな言葉もメッセージもないあの時代、『うる星やつら』は、性別や生まれ、神様と妖怪、宇宙と地球の境目さえ大股でまたぎながら、全ての「ヘンな人」を全力で肯定し、そして既存の「普通」や「常識」、「当たり前」を否定し続けた。誰もがその人のままでいい。それは世の「普通」とは違うかもしれないけど、「ヘン」と「ヘン」と集めてもっと変になれば世界はもっと自由で優しくなる、そういうことが描かれていたと思う。
恵比寿で店を営むということ
8年ほど前から、母と妹の三人で小さなギャラリー、「gallery and shop山小屋」をやっている。「ブックス海」があった場所から歩いて十秒ほど、恵比寿駅前から歩いて2分。落ち葉も降らない東京のど真ん中で「山小屋」というのも妙なんだけど、その名の通りに峠の茶屋みたいに多くの人がふらりと寄り、おしゃべりしていく。とはいえ、たった2坪とめちゃくちゃ狭いスペースである。よくもまああそこでギャラリーをやろうなんて思いついたものだ。
8年余りで、数え切れないほどのアーティストやイラストレーター、デザイナー、陶芸家、写真家、パフォーマー、そのほかの表現者が展示をしてきた。
狭い空間に布団を敷き、一週間寝泊まりしたカップル(エツツとブルーノ)もいたし、リアルなパンティの絵ばっかり壁にぎっしりと並べた人もいたし(秋山あいさん)、見えない「香り」というものを展示したアロマセラピスト(和田文緒さん)もいた。砂をどっさり持ち込んでウソっぽいビーチを作ったあげく、日夜ハードな飲み会をしていた人たちもいた。最近では、豆本とも呼ばれる手のひらサイズの本を並べた展示も行い(赤井都さん)、こちらもまた小さな本のなかに広大な宇宙が詰まっているようでとても面白かった。
まあ『うる星やつら』の友引町ほどじゃないけど、お客さんも含めてそれなりにヘンな人たちが集まってくる。小さいスペースだから、いつだってパンク寸前で大変だ。
しかし去年は、コロナ禍で山小屋も世間並みに大変だった。長い間クローズを余儀なくされ、このままいくと潰れちゃうのかなと思う時期もあったけれど、ようやく秋から展示を再開することができた。店番をしていると、「こんにちは」と色々な人が寄ってくれる。
元気だった? うん。
久しぶりに顔が見られて嬉しい。この街で自分は生きていて、「いとなみ」をともにしているという確かな感覚を取り戻せる。
私にとっての「ブックス海」のように、「山小屋」もまた小さなサンクチュアリになれるだろうか。ヘンな人がヘンなままでいられる場所になるといいなと思う。
「Strawberry Fields Yusuke Sato Photography」(2019年)photo by Yusuke Sato
「ときのもり Ayumi Shibata Exhibition」(2019年)
「Ai Akiyama Pantieology パンティに宿る哲学」(2017年) photo by Katsuhiro Ichikawa
「この部屋に住みます。絵を描きます。展」(コバヤシエツコ/2016年)photo by Katsuhiro Ichikawa
(企画・編集:新谷佐知子/川内有緒)
恵比寿の暮らしQ&A
Q1 恵比寿との縁は何ですか?
生まれたときは麻布に住んでいて、1歳になる頃に恵比寿南のアパートに引っ越してきました。今はもうその建物はないんだけど。4歳の時、妹が産まれるタイミングで恵比寿1丁目に引っ越してきて。このgallery and shop山小屋(以下、山小屋)は、自分たちが小さい時に母が生地屋さんをやっていた場所です。
Q2 よく行くお店はどこですか?
うーん。よく行く店……、そうですねえ。「写真集食堂めぐたま」は時々行くかな。友達が来た時に一緒に行ったり。この前も編集者と行きました。連れて行くと喜ばれる店ですね。「LIBRAIRIE6/シス書店」も気になる展示があるときに行くかな。恵比寿は個人の顔が見えるお店がなくなり続けている気がするよね。本屋さんもほとんどないし。なかなかパッと思いつかない。苦しい国会答弁みたいになってきた。(笑)
Q3 よく行っていたお店は?
以前はワインバー「Wine Stand Waltz」というお店に時々行っていました。雰囲気がよくて、5〜6人しか入れないカウンターだけのお店。静かな音楽が流れていて、本当にこだわり抜いたナチュラルワインがあったりして。お店に入って行くアプローチが独特で、小さな路地を入って行くとそこにポッとお店が現れて。突然異世界に入ったような気分になります。一人で行って、一杯だけ飲んでさっと帰って来たり。最近はなかなか行けないんだけど、あそこはいいよね。
Q4 恵比寿の魅力は?
この街に関して言うと魅力というほどのものがないんだけど、自分にとっては昔から知っている人が近所を歩いているのが魅力です。「こんにちは〜」って言える街っていまや貴重。ちょっと「遊びに行っていい?」「いいよ〜」って。そういうのは一朝一夕には築けないから。うちの実家はアポなしでご近所さんが家に来たりするし。 一方で新しい人とも出会う機会も。恵比寿新聞の高橋さんとか猿田彦珈琲の人たちとか。繋がりを通じて出会って仲良くなっていく人もいる。お互いに「よお!」「元気?」って言える人がいっぱいいる街っていうのは素敵な街なんじゃないかな。
Q5 恵比寿はどんな人たちがいる?
「濃い人」が多いですね。山小屋で出会う人とか、恵比寿文化祭で出会う人たちはいろいろで、素敵な人たちが多い。出会った人たちとは、人間同士の距離の近さが感じられます。 人との出会いに関しては自分たちの「店」、つまり山小屋の存在が大きいのかもしれない。店って、人を惹きつけるものだし、アポなしで行ける場所。店をやっていると地域に開かれた存在になれるでしょう。会いに行かなくても誰かが来てくれる。山小屋の前で人と喋っていると1日があっという間に終わっちゃう。不思議なことだなって思うときがあるんですよ。こんな2坪のスペースに大きな可能性があるんだなって。
川内有緒(かわうち・ありお)
ノンフィクション作家。恵比寿で生まれ育つ。日本大学藝術学部卒業後、米国ジョージタウン大学で修士号を取得。米国企業、日本のシンクタンク、仏の国連機関などに勤務後、ライターに転身。『バウルを探して』(幻冬舎)で第33回新田次郎文学賞、『空をゆく巨人』(集英社)で第16回開高健ノンフィクション賞を受賞。著書に、『パリでメシを食う』(幻冬舎)、『晴れたら空に骨まいて』(ポプラ社/講談社文庫)など。
gallery and shop 山小屋
恵比寿駅で一番小さなギャラリー。日々の暮らしにふわりと風を吹かせてくれるアート作品を届けるため2012年にオープン。川内有緒と母、妹のファミリーで企画運営している。誰もが気軽に立ち寄れる峠の茶屋のような存在になりたいと「山小屋」と名付けた。
2021.1.13